近藤勇と新撰組隊士供養塔(東京都北区滝野川)


どうやら5/24には新撰組祭りなるイベントが行われたらしい。僕た訪れた5/23には白いステージと横断幕と幟だけが駅前の広場にあった。



駅前広場に面した近藤勇新撰組隊士供養塔。
大久保大和こと近藤勇は慶応四年四月二十五日にかつて板橋駅北側一帯にあったという板橋刑場にて斬首され、首は京へ運ばれ胴体がこの場所に葬られた。



正面に近藤勇土方歳三の名が並んだ供養塔。近藤の諱「昌宜」が何故かここでは「宣昌」と書かれている。
明治九年に隊士だった永倉(長倉)新八が発起人となり、旧幕府御典医近藤勇をはじめとした隊士たちと親交のあった松本良順(松本順)らが中心となって建立された。左右には隊士ら110名の名が刻まれ、裏面には近藤・土方良名の命日と(近藤の命日は慶応四年ではなく明治元年となっている)、発起人として「旧新撰組 長倉新八 改 杉村(杉は木篇に久)…」と石工の名が刻まれている。ここには永倉が明治期に名乗った杉村義衛と刻まれていたはずだけれども、破損してしまっているらしく今は読むことができない。



供養塔の隣にある近藤勇の墓。



大正まで生きた永倉新八の墓も左手に建立されている。



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