ミッキーの想い出に

土曜の朝、ハギ実家のネコのミッキーが旅立った。享年17歳。
ゴルフに行くためハギの父親が未明の3時に起きた時、ミッキーは大きな声で2度鳴いて、すぐにまた自分のベッドで横になったのだそうだ。9時ころ、いつもは未明に目を覚まして水をねだるミッキーが、まだ起きてこないことを不思議に思ったハギの母親が触った時には、すでに冷たくなっていた。


突然の訃報を聞いた僕らがすぐに実家へ駆けつけると、ミッキーは自分のベッドの上で、まるで眠っているかのように丸まっていた。僕は、お母さんが声を掛けるといつものようににゃあと鳴いて、しっぽだけちろちろ動かすんじゃないかと思って見ていたのだけれど、長くて、さきっちょだけ白い可愛らしいしっぽは、やっぱりぴくりともしなかった。偶然にもその日はハギの兄が泊まりに来ていて、これまた偶然にも水曜日にハギが体調を崩したことから、土日のぼくら二人の用事はキャンセルになってしまっていたので、土曜の朝からずっとミッキーと一緒にいることができた。きっとミッキーはみんなに見送ってもらえる日を選んだに違いない。お利口だったミッキーは、最期の時までお利口だった。
その夜はお通夜と称して遅くまで飲んだ。ネコは死期を悟ると人目に付かないところに隠れてひっそりと死を待つというけれど、ミッキーは愛する家族の枕元で、自分のベッドの上で死ぬことを選んだ。ひょっとすると長年愛されたミッキーは、自分がネコだとは思わなかったのかもしれないと、ミッキーの好物だった刺身をつつきながら、ハギの兄は言った。


日曜日は仕事のあったハギの兄以外の4人で、戸田の斎場にてミッキーを見送った。斎場で待っている間、待合室でハギが「虹の橋」の詩を読んでくれた。人に愛された動物は虹の橋のたもとで愛する飼い主を待っている、というこの詩は、後でハギの両親の間で「ミッキーは虹の橋のたもとでどっちを待ってくれているか」という口論の種になってしまうのだけれど、その場にいた全員の心を少しだけ軽くしてくれた。


小さな壺に収まってしまったミッキーを抱いて火葬場から出ると、まぶしいくらいの青空が広がっていた。遺骨は気の済むまで部屋に置いておき、いつか大好きだった庭に撒くのだという。翌週からハワイへ旅行に行くハギに、お母さんがハワイにも散骨したら、と提案した。そんな遠い知らないところに撒いたらミッキーが可哀想だよ、ここどこにゃ?って言うよ、とハギが抗議して、みんな笑った。


ミッキーは誰を待っていてくれているのかについて結論は出ていないけれど、利口なミッキーは、きっと虹の橋のたもとでいつまでだって待っていてくれるに違いない。長くて、さきっちょだけ白い可愛らしいしっぽをゆらしながら。



在りし日のミッキー。まだおデブな頃。


イチ