鎌倉旅行その3 鎌倉宮

八幡さまにお参りして、源平池の辺をぶらぶら歩いた後に鎌倉宮へ。

すれ違う人が目を輝かせてケータイのカメラでパシャパシャやっているので、なんだろうと思って後ろを振り向くと見事な夕焼けが。

鎌倉宮は紅葉が素晴らしいところと聞いていたのですが、やはりここもまだ早いようで、一部モミジが色づき始めているほかはまだまだ緑。折角なので境内を見学することに。
ここへ訪れるのは初めてだったので由来や歴史を知らなかったのですが、鎌倉宮に祭られているのは大塔宮護良親王後醍醐天皇の皇子で、楠正成らとともに鎌倉幕府に対して挙兵し戦果を挙げ、幕府滅亡後は征夷大将軍に任じられるも、その後は建武政権側から離反した足利尊氏に捕らえられ処刑された方らしい。その後数百年の時を経て明治2年天皇中心の政権を一時的にとは言え打ち立てた、いわゆる建武の中興の功労者である護良親王を祭神にして造営されたのだという。新政府発足後間もないこの時期にこのような神社を作ったというところに、永く続いた武士の世を終わらせ天皇を中心とした世を作ろうとする意気込みや気負いを感じられて興味深い。

宝物殿には乃木希典東郷平八郎山本五十六の書をはじめ、勝海舟山岡鉄舟高橋泥舟の三舟の書などが、ちょっと無造作に陳列されている(汗)
端のほうには何故か鹿の剥製やら、日本髪の女性の彫刻が何の説明もなしに置かれていたり、さらに端には槍やら弓やらがガチャガチャと立てかけられている。

中では徳川斉昭護良親王を偲んで詠んだという歌が特に興味深かった。

愚なる 身も古に 生まれなば 君が頼みと ならましものを

なんとも烈公らしい歌ではありませんか。

なおWikipediaによると、護良親王は尊氏・後醍醐天皇の双方と反目するようになってしまい征夷大将軍の任を解かれた後、後醍醐天皇の意を受けた者の手によって捕らえられ足利方に引き渡された、という。
立場が違えば歴史が変わる、ということなんでしょう。

鎌倉宮から八幡宮へ帰る頃にはもうすっかり日も落ちてしまい、後で寄ろうと思っていた荏柄神社や頼朝の墓には行くことが出来ませんでした。このあたりはまた次回の楽しみに。

イチ