ヨーロッパ中世の修道院文化(著:杉崎泰一郎)

もう随分以前に読了した本ですが、中世の修道院での生活について書かれたものを一つ。(何故かエントリが書きかけのまま眠っていました・・・)
これはNHKラジオ講座のテキストなのですが、馴染みの薄い内容を話し言葉で楽しく読ませてくれるので、興味があるのだけど一見敷居が高いような分野の入門用にはなかなかよいのではないかと思います。我が家にはラジオを聴く環境が無いので、純粋に読み物としてなのですが。

修道院と聞いて私たちが想像するような、修道生活の規範をまとめたベネディクトからはじまり、宗教界のみならず世俗的な権力を手にするにつれ腐敗が進み、それを受けてのルターの宗教改革や、修道院内部からの改革運動という流れを、私たち俗世の人間にとっては秘密のヴェールに覆われている修道院での生活について触れながら読ませてくれます。
ベネディクトといえば、彼に関するくだりを読んでいて、昨年ローマからポンペイへ向かう車中で、聖ベネディクトと聖スコラスティカの話を聞きながら観たモンテ・カッシーノを思い出しました。

中世の修道院が果たした大きな功績の一つとして、知の保全があげられます。『暗黒の』中世を経て、ギリシャ・ローマ時代の著作の多くが失われてしまったわけですが、それでもこの時代の作品を今なお読むことができるのは、彼らの彼らの活動に多くを負っているようです。
中世というキリスト教を基にした価値観が支配的であった時代に、キリスト以前の文献までも写筆・収集していたのは、おそらくラテン語の教科書としての役割も大きかったのではないでしょうか。

グーテンベルク以降に生きる私たちにとっては、それ以前においていかに書物が貴重なものであったかは想像しづらいのですが、下記に引用するある修道士の言葉を読むと、ある程度実感できるような気がします。

”・・・もしあなたが、写本がどのように書かれるのか、それについて知るところがないなら、それを辛いこととは考えないでしょう。しかし、あなたが詳しい説明をお望みなら、それは厳しい労働だと言いましょう。目は霞んできますし、背は丸まります。肋骨は軋みます。胃は圧迫されます。感情は乱れ、身体全体が弱まります。ですからこれを読む人々に申し上げます。これらのページを丁寧に捲ってください。文字を指でなぞりながら読まないでください。というのも、大地の豊かな実りを雹が台無しにするように、心無い読み手が文字も写本も損なってしまうからです。船人が最後の港を喜ぶのと同じように、私たち写字生は最後の一行を記す時に歓びがいや増すのです。”

イチ