ヨーロッパ文化と日本文化(著:ルイス・フロイス 訳注:岡田章雄)

ヨーロッパ文化と日本文化 (岩波文庫)

ヨーロッパ文化と日本文化 (岩波文庫)

しばらく前に読了。
イエズス会の宣教師ルイス・フロイス天正13年(1585年)に加津佐でまとめた小冊子で、恐らく本国や後進の宣教師たちへ、日本における布教時に文化的な摩擦を生じさせないように書き残したものらしい。序文でフロイス自身もこう書いている。

彼らの習慣はわれわれの習慣ときわめてかけはなれ、異様で、縁遠いもので、このような文化の開けた、創造力の旺盛な、天賦の知性を備える人々の間に、こんな極端な対象があるとは信じられないくらいである。両者の相互の間の混乱を避けるために、ここに主の恵みを得て章に分類をおこなうものである。


ここで対比されている内容は衣食住から武器、宗教、演劇や音楽など多岐に渡っていて、フロイスたちが日本人の生活の中に深く入り込んでいた事が伺える。いずれもある事柄についてのヨーロッパと日本での比較がごく簡単な文章で綴られているだけで、行間にフロイス自身の文章よりもボリュームの多い訳注が埋められている。


以下に特に興味深いと思ったことをつらつらと。

われわれの間では、全く人目を避けて、家で入浴する。日本では男も女も坊主も公衆浴場で、また夜に門口で入浴する。

フロイスは男も女も坊主も公衆浴場で入浴(混浴とは書いていない)することを書いているけれど、江戸時代のような意味での公衆浴場がこの時代にあったかどうか、ちょっと疑わしいような気がする。ここで彼が言及しているのは、寺院が民衆のために行った施湯の事なんじゃないかな。門口で入浴するというのは行水のことでしょう。

ヨーロッパでは財産は夫婦の間で共有である。日本では各人が自分の分を所有している。時には妻が夫に高利で貸付ける。

ちょっと愉快な記述だが、訳注によるとこの時期はまだ嫁入りした武家の女性に対して実家から一期分として所領を与えられる風習が残っていたのだそうだ。この後、日本の女性がヨーロッパよりも比較的自由で地位が高く、識字率も高いという記述がいくつか続く。

ヨーロッパでは、男女とも近親者同士の情愛が非常に深い。日本ではそれが極めて薄く、互いに見知らぬもののように振舞い合う。

他にも日本人は肉親の情が極めて薄いといった内容の記述が散見されるけれども、恐らくこれは武家についての話なんじゃないでしょうか。下克上の時代、右を見ても左を見ても親殺し子殺しの話がゴロゴロしているし、源平の昔から親族同士敵味方に分かれて戦うのは武家の世の常。自然と近親者の情愛が育まれにくい環境だったのだろう。
また彼は、堕胎や嬰児殺しが盛んに行われているとも報告している。戦乱続きで食料の生産高も低下し、人の命が牛馬以下に扱われていた時代である。

われわれの教師は、子供たちに教養や貴い、正しい行儀作法を教える。坊主は彼らに弾奏や唱歌、遊戯、撃剣などを教え、また彼らと忌まわしい行為をする。

書くことも忌まわしい行為とは、すなわち衆道である。フロイスは総じて日本の子供の振る舞いや躾について高く評価し「称賛に値する」とまで言っているのだけれど、仏僧については当然ながら至る所で厳しく批判していて、読んでいるうちに信長が比叡山を焼き打ちしたのも無理もないか・・・と思ってしまう(汗)

われわれの間では誰も自分の欲する以上に酒を飲まず、人からしつこくすすめられることもない。日本では非常にしつこくすすめ合うので、あるおのは嘔吐し、また他のものは酔っぱらう。
われわれの間では酒を飲んで前後不覚に陥ることは大きな恥辱であり、不名誉である。日本ではそれを誇りとして語り、「殿はいかがなされた。」と尋ねると、「酔払ったのだ。」と答える。

殿情けねぇ。しかし400年を経ても進歩がないものですね。残念なことに、酒の上での醜態や失敗をご愛敬として片付けてしまう文化は今も脈々と受け継がれてしまっています。
酒に関する話題では、日本では酒をほぼ一年中暖めると書かれてあるのがちょっと意外。

われわれの馬はきわめて美しい。日本のものはそれに比べてはるかに劣っている。

日本在来種はアラビア産とは比べ物にならないくらい小さいですからねぇ。訳注によると『耶蘇会史』には「皇帝(秀吉)の厩の中で最良の馬でも駄馬に類するものであった」とまで書かれているそうだ。
司馬遼太郎がエッセイで書いていたと思うのだけど、長宗我部元親が秀吉のもとに参じた時に土佐産のまるで犬のような馬に乗ってやって来、元親は秀吉から駿馬を拝領し国に帰って皆に見せて驚かせたと読んだことがある。彼らがアラビア産の馬を見たらどう思っただろうか。
また乗馬法の違いについても何点か言及しているが、これは時代を250年ほど下った幕末百話でも書かれていたと思う。

われわれの間では人が横根にかかったら、それは常に不潔なこと、破廉恥な事である。日本では、男も女もそれを普通の事として、少しも羞じない。

横根とは梅毒の初期症状の一つである、リンパ節の腫れの事。梅毒はコロンブス一行がアメリカから持ち帰ったと言われているが、日本の記録に初めて登場するのはそれからわずか20年ほど後の1512年なのだとか。それから70年経った天正年間には、日本でも"普通"の病として認知されてしまっていたらしい。
梅毒を恥としない風潮は江戸時代の吉原を中心とした遊郭文化だと思っていたのですが、それよりもずっと以前からあったとは知りませんでした。


音楽関連でもいくつか。

われわれの間の種々の音響の音楽は音色がよく快感を与える。日本のは単調な響きで喧しく鳴りひびき、ただ戦慄を与えるばかりである。

知識が無いなりに常々思っているのだけど、いわゆる雅楽と聞いてイメージする笙の音も、歌が入るとちょっと違うと思うのだが琴や三味線も、『静』や『寂』や音と音の『間』を聴かせるものなんじゃないだろうか。笙の音に戦慄を感じるというのは何となく解るような気がするのだが、西洋音楽のような和音と旋律と拍子とを日本の音楽に期待してはいけない。もちろん民衆の音楽にはもっと旋律的だったりリズミカルだったりするものが多かっただろうけれど。一方、オルガンに合わせて歌う時の協和音と調和を日本人が『姦し』と感じると書かれているのが面白い。きっとモーツァルトに苦言を呈したヨーゼフ2世のように「音が多すぎる」と感じたんじゃないかな。


イチ