シュリーマン旅行記清国・日本(著:ハインリヒ・シュリーマン 訳:石井和子)

金曜日、ちょっと具合が悪いなと思いながら帰宅し熱を測ってみると37.5℃。それから一晩ぐっすり眠ってだいぶ体調はよくなったのだけど、さっき就寝中に急に咽てしまい、変な時間に起きてしまったものだからなかなか寝られないので、先日読んだ本のメモをつけておこう。

シュリーマン旅行記 清国・日本 (講談社学術文庫 (1325))

シュリーマン旅行記 清国・日本 (講談社学術文庫 (1325))

著者はトロイアの発掘で知られるハンリヒ・シュリーマン。その彼が大発見に先立つ6年前に世界旅行の途中幕末の日本に立ち寄り、アメリカに向かう船の中でフランス語で書いた旅行記
個人的にはシュリーマンにはあまり良いイメージが無かったのですが、この旅行記に見せる彼の観察眼の鋭さ、好奇心の強さはまさに一流のもので感心させられます。彼が北京に入るため上海から天津行きの蒸気船に乗ったのが4月20日で、日本からサンフランシスコ行きの小さな帆船に乗船したのが7月4日。この短い期間で彼は実に精力的に様々なものを見聞き体験し、感じ考察したことを書き残してくれています。


この本を一読して誰もがまず感じるのが、清国について退廃し堕落した民族と酷評しているのと対照的に、日本について極めて清潔で、「文明という言葉が物質文明を指すなら、日本人は極めて文明化されて」おり、「工芸品において蒸気機関を使わずに達することのできる最高の完成度に達して」おり、「それに教育はヨーロッパの文明国家以上にも行き渡っている」と、ある意味で絶賛に近い評価を下していること。(当時の清国は大変不幸な時代であり、彼がその清国を見た直後に日本を訪れているということは差し引いて考える必要はあるかも知れないけれど)これは文章の端々に感じられることで、ありがちな先入観や偏見などほとんど感じさせない彼の異文化に対するスタンスは賞賛に値すると思うし、そこに描写されたかつての日本の風俗と相まって感動的ですらあります。


文中、面白いと思ったことをいくつか。
シュリーマンが出会ったおそらく最初の日本人である港で荷の積み下ろしをする男たちが、「彼らが身につけているものといったら一本の細い下帯だけで、そもそも服を着る気があるのかどうか、あやしまれるくらい」で、体中に彫り物をしていると書いています。こうした格好の男は何も港だけではなく、後に馬丁や担ぎ人夫たちも「幅の狭い下帯と、背中に赤や白の大きな象形文字の書かれた紺色のもの」で、「たいてい体中に入れ墨をしている」と述べていますが、当時のこうした肉体労働者たちは裸に彫り物がユニフォームのようなものなんですよね。彼はここで、ユリウス・カエサルブルトン人について書いた言葉を引用しています。曰く「彼らは衣服こそまとっていなかったが、少なくとも見事に彩色している」。


彼は日本人の綺麗好きなところにも注目しており、「日本人が世界中でいちばん清潔な国民であることは異論の余地がない」とまで語っています。街のいたるところにある公衆浴場についても描写しており、浴場の道路に面した側が開放されていて中が丸見えだったようで、3,40人の裸の男女が混浴しているのを目の当たりにして「なんと清からな純朴さだろう」と感動しています。実際湯屋の混浴は、この頃には既に風紀を乱すとして何度も禁止されているなのですが、この禁制はあまり行き届かなかったようですね。浴室には柘榴口があったり明り取りの窓が小さかったりで、薄暗い上に湯気が充満していたと思っていたのですが、彼の見た湯屋はもっと開放的なものだったようです。語学に大変堪能だったシュリーマンらしく、「名詞に男性形、女性形、中性形の区別をもたない日本語が、あたかも日常生活において実践されているかのようである」と述べているのが面白いところです。
ただこれだけ綺麗好きな日本人が、他のどの国にも見られないほど皮膚病を病んでいる人が多いことにシュリーマンは首を傾げていて、その原因を「日本人が米と同様に主食にしている生魚にあると断言」しています。このあたりにちょっと刺身に対する偏見が見え隠れしますが、確かに吉田松陰が密航に失敗した理由が彼の酷い疥癬にあったという話もあるくらいなので、その原因はともかくやはり日本人の皮膚病の多さは際立っていたようですね。


また興味深いのが、日本には家具の類が一切無いと言い切っているところ。かわりに「長さ2メートル、幅1メートルの美しい竹製のござ」が、長椅子やソファ、テーブル、ベッド、マットレスの代わりに使われていると。まあ一切無いことは無いと思いますが、確かに大名屋敷でも西洋のように豪奢な調度品に囲まれるということはそうないでしょうね。屏風や衾や器に贅を尽くしたりすることはあるでしょうけど。まして江戸の長屋の住人に到ってはそれこそ「家具の類が一切無い」でしょう。そもそも畳に据え置きの家具は相性も悪いし、なにより野暮ったい。
清清とした畳に文机一つ、読み書きに疲れた目を四季の庭に癒すなんて暮らしに憧れたりしますが、残念ながら自分は便利な物に囲まれる生活に慣れすぎてしまったようです。


他にも浅草や王子に立ち寄ったときのことや、日本文明論と題した一章のことなど取り上げたいことはいくらでもあるのですが、この辺で。で、幕末の日本を旅した外国人の旅行記がなぜここまで面白く読めたのかと考えるに、今現在の自分の暮らしが当時の日本人のそれとはかけ離れ、限りなく西洋化されてしまったというところに一因があるのでしょう。つまり読み手である自分の視点が、被観察者の日本人ではなく観察者のシュリーマンと同化し、彼の驚きと発見を140年の時を経て追体験する楽しさなんでしょうね。
これは一読を是非お勧めしたいですね。きっと日本がより好きになると思いますよ。


イチ