日本リヒャルト・シュトラウス協会第123回例会

R.シュトラウス 歌劇《カプリッチョ》 パリ・オペラ座 2004年 [DVD]

R.シュトラウス 歌劇《カプリッチョ》 パリ・オペラ座 2004年 [DVD]

昨日は大雨の中、上野の東京文化会館で行われた日本リヒャルト・シュトラウス協会の例会へ。TDKから出たパリ・オペラ座での『カプリッチョ』の字幕を作成された、舩木篤也さんのお話を伺いました。

カプリッチョ』はシュトラウス最後のオペラで、オペラにおいて音楽が先か・言葉が先かという永遠の問題、ひいては芸術論を男女の三角関係に託した、とても洒落た面白い作品なんです。
舞台は1775年のパリ近郊。うら若い未亡人のマドレーヌと、彼女に惹かれる音楽家のフラマンと詩人のオリヴィエの物語。一人の女性を愛する二人の芸術家の葛藤が、そのままオペラ論、芸術論になっていく。そして物語の最後、二人から求愛されたマドレーヌは、二人のうちどちらを、言葉と音楽のどちらを選ぶか結論を出せないまま舞台を去る。

と、まあカンタンに言うとそういう話なのですが、このDVDになったパリ・オペラ座の演出が凝っていてなかなか面白いのです。フラマンやオリヴィエ達の討論を聞いて、マドレーヌの兄の伯爵が「今日のこのやり取りをオペラにしたら面白いんじゃない?」なんて提案したりと、もともと今観ているものがシュトラウスのオペラなのか、それとも彼らが作ったものなのか、よく解らなくなってしまう瞬間があったりするのですが、この舞台の演出をしたロバート・カーセンはこの話をもっと複雑な入れ子構造に仕立て直しているのです。

カーセンの細かな仕掛けは冒頭からたくさんあるのですが、それが一番顕著なのが最終場。あの美しい月光の音楽が流れる中、パリのオペラ座の貴賓席に現れるのは舞台の登場人物のはずのマドレーヌやフラマン、オリヴィエたち!そして緞帳が開くと(この緞帳も本物ではなく、緞帳風のセットなわけですが)舞台の中央に現れるのはマドレーヌその人。
舞台の上のマドレーヌを客席からマドレーヌ達が観ているわけで、どこまでが劇でどこからが劇中劇なのかわからなくなってしまう。更には、開いた緞帳の向こう側にどこまでも続くバロック風のアーチと、その先に置かれた大きな鏡と、その鏡に映るもう一人のマドレーヌの姿。美しい舞台装置と照明もさることながら、観客の視線の先に鏡ともう一人のマドレーヌを映し込むことによって、劇と劇中劇の境界だけではなくて現実と虚構そのものの境界さえ怪しくおぼろげなものに変えてしまいかねない、見事な演出でした。
最後にアッと言わせる演出があるのですが、これは観てのお楽しみに・・・自分は思わず「おおぉ〜」って言っちゃいました(笑)

舩木さんによるお話も、脚本の共同執筆者であるクレメンス・クラウスのインタビューからの引用であったり、脚本中のドイツ語の使われ方や翻訳時の苦労話、このプロダクションの面白さなど多岐に渡る内容を実際にDVDを視聴しながら解説してくださり、刺激的で興味深いものでした。

−7/16追記−
そだ、忘れないうちに書き留めておこう。
オリヴィエのソネットに対してフラマンが即興で曲をつけるところは、5小節ごとで1楽節になっているとのこと。ここの箇所を聴く時に感じられるちょっとした字余り感はこの事に起因しているようなのだけど、これはフラマンが即興的に曲を付けたことを表現するために、わざとシュトラウスが5小節区切りに作曲したそうです。
ちなみに1942年の初演時のエピソードとして、このシュトラウスの意図を更に際立たせるため、クラウスは1フレーズごとにテンポを少し速めて演奏したとか。遺されている録音でどのように表現されているか、後で聴きなおしてみたい。

イチ