お江戸吉原ものしり帖(著:北村鮭彦)

お江戸吉原ものしり帖 (新潮文庫)

お江戸吉原ものしり帖 (新潮文庫)

江戸唯一の公娼吉原の歴史、作法、ファッション、名妓列伝などを、川柳や絵などを豊富に引きながら面白く読ませてくれる一冊。


川柳にしても文献にしても吉原についての証言が外部の人間、客である男の残したものがほぼ全てと偏ったものであるため、美化され都合の良いような事ばかりが目に付きがちだ。遊女本人や娘を女衒に売らざるを得なかった貧農の言葉が残っているのならばぜひ読んでみたいとも思うのだけれども、彼らの声は時の流れにかき消されてしまったものとみえる。
明治以降に本格的に流入してきたキリスト教的な道徳観、貞操感に慣れてしまった身としては、当時の人々の(特に郭内の女性の)心の内を想像することすら難しいのだが、断片的に伝わるエピソードなどを繋げて想像力たくましくしてみると、彼女たちは意外にあっけらかんとしたたかに生きていたようにも思われる。でも考えてみればそれは当然だ、それが郭内で生きる唯一の術だったのだから。


多く引かれている川柳の中では、これが一番印象に残った。

おいらんが いっちよく咲く 桜かな


吉原では桜の季節になると、植木屋に頼んで特別に背を低く育てた桜を通りに植えて大変賑わったというのだが、その費用は通りに面した各楼が費用を出し合い、自分のところで抱えている女郎に買い取らせていたらしい。
この句はある妓楼の禿(かむろ)が詠んだものと伝わっている。自分の付いている花魁の桜が一番と誇らしげに眺める禿の、あどけなさやいじらしさ、禿にまで流れる花魁の張りの心意気が伝わってきて印象深い。


イチ